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命の価値 [日々]

こんにちはtakashiです。

今日もメモに書いた事を書こうと思うが、同じ様なタイトルで書いた事があるかも知れない。

で、もしかしたら言っている事が違うかも・・・大丈夫か、俺。



命の価値

俺がふと考えた事は人によって、その人の命の価値が違うという現実についてだ。

例えばだが、交通事故で亡くなった人が居たとする。

その人がお年寄りの場合と子供の場合、何が違うのだろうか?

ここで言いたいのは罪を犯した側の話ではなく、失ったモノの事である。

失った家族からしたら、価値は同じだと思う。

夫、奥さんを亡くしたお年寄り、子供、兄弟を失った親。

そこにある違いは生きてきた年数であり、支払われるお金の差だ。

まずおかしいと思うのはお年寄りだと支払われる金額が子供よりも安い。



ちなみに、今ググってみたら、お年寄りの方が高くなる事もあるとの事。 情報不足ですみません。

続きを書きます。


お年よりは今まで生きてきた、子供は先があるとでも言いたいのであろうか?

俺にはその明確な違いは分からない。

だけど、社会貢献で言えばどうだろうか?

お年寄りはその年になるまで国、社会に貢献してきている。

そこの評価はあるのだろうか?そもそも、人によって命の価値が違う事などあって良いものなのだろうか?

悪は罰するべきだと思うが、頭の良し悪し、社会的貢献、地位が違うからと言って亡くなって良いものでは無いと俺は思う。

有名人、学者、博士など社会的に地位のある人の死は多くの人が悲しみ、惜しむかも知れない。

だが、人が亡くなる意味は平等だ。

何か理由があって、こう思った訳じゃ無いが、俺はこう考える。


改めて、文章、ブログに書こうと思うと、それが事実なのか調べなきゃダメだから、ちょっと大変だった。

調べてみたら、お年寄りでも地位とかによって、金額が違う事も分かったし。

でも、死は誰にでも平等に訪れるものだと思う。それで悲しむ人数の差こそ、あるけど。

俺が死んだら、誰が悲しんでくれるのだろうか・・・。

今日は、ここまで!

では、良い一日の後半を!


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ゆう

こんばんは。

takashiさんの言っていることは間違っていないと思います。

自分は今日の記事を見て、思考実験の「トロッコ問題」を思い出しました。
暴走するトロッコの先に5人の作業員がいて、「あなた」はレバーを引くことでトロッコを別のレールに進ませて5人を助けることができます。しかし切り替えた場合、レールの先の1人の作業員が犠牲になります。そこで「あなた」はどうしますか?という思考実験です。
手を出さずに5人を犠牲にするか、5人のために1人には犠牲になってもらうかという二択ですね。

今日の話に当てはめた場合、暴走するトロッコの先にお年寄りがいて、枝分かれする先に子供がいる場合か、その逆かですね。
最初の話とは人数が違うので、人数による命の重さの違いはなくなります。

さて私の場合、最初の方は5人を助けるかもしれません。
で、お年寄りと子供の場合、レバーに手を出さなければお年寄りが亡くなってしまう場合でも手を出さないかもしれません。
逆の場合はレバーを引いて子供を助けるかもしれませんし、自分の手で老人を犠牲にもしないかもしれません。

自分でも訳が分からなくなってきましたが、正解というのはないのかもしれません。
言えることとしては、お年寄りは長く生きていて余命は短いだろうということ、子供は生まれて間もなく余命は長いだろう、ということだけです。

お年寄りも子供も5人ずつにしたりすると、また違ってくるかもしれません。
難しい話ですね。

長文失礼しました。
by ゆう (2018-04-18 20:30) 

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