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小さな時から [日々]

こんばんはtakashiです。

今日、久しぶりに1日2回のブログ更新だ。

本当は誰かに俺の気持ちを聞いて欲しい。

人と話したい。

俺は人と話すのが嫌いじゃない。

でも、誰かれ構わず話をしたい訳じゃないし、出来る訳じゃない。

彼女が言うとおり、俺はただ、彼女に依存していただけなんだろうか。

独りになる不安をただ、彼女にぶつけていただけなんだろうか。

別に俺を受け止めて欲しいとは思っていなかった。

ただ、楽しい時間を共有出来れば、それだけで良かったんだ。

俺が落ちた時に話せる人はもう居ない。

薬を飲んで落ち着くのを待つか、本当にこのまま落ちるか。


いつの頃からだろうか。

俺と死が近くなったのは。

俺の家は小さい時から、俺が物心付く前から荒れていた。

父親が幼稚園の時に統合失調症になり、家庭内暴力が始まった。

未だに俺の心に残って離れない映像がある。

兄弟と2階にいる母さんと親父がケンカしてるのを覗きに行くと、親父は母親の首を絞めていた。

未だに頭から離れない。

幼稚園の頃から、親父の暴力が止む事は無かった。

家に帰れば、親父が暴れて、誰かしらが泣いていたし。

そんな親父をやっとの事で入院させても、俺の爺ちゃん、親父の親父が近所の目を気にして、ちゃんと治療しようとしなかった。

いつも暴力を振るわれるのは母親か俺ら。

じいちゃんが殴られる事は最後の最後の日しかなかった。

弟は泣いてうるさいって理由だけで運動会前の日に顔にビンタを喰らい、蚯蚓腫れになってしまった。

俺の中の何かが壊れだしたのは小学校4年辺りだろうか。

小学校の時に母親が胃に穴を開け、入院した。

何で別れないんだって小さいながらもずっと母親に対して思っていた。

父親は入院を何回も繰り返したが、家に居なくなってもその後の被害は甚大だった。

家では毎日、俺が引越しをする直前までケンカが続いたし、兄弟で殺し合いもした。

今思えば、あの時、中学校の時、親父を包丁で刺そうとした時、金属バットで殴ろうとした時、なんで手が止まってしまったんだろうって思う。

親父と会わなくなって、もう10年以上経つが、未だに俺の夢の中で俺を襲う。

兄弟を殺そうとした事もあったし、殺されそうになった事もある。

俺はちゃんと愛情をもらって育った訳じゃない。

愛情とは無償のものでは無いし、無限にある訳じゃ無い。

俺が最初に死と接したのは中学校1年の時だろうか。

最初、休んだ時は学校に行くのが嫌だった。

次の日、担任にからかわれ、クラスメイトから虐められる日々になった。ただ、ダルかった、それで休んだって言っただけで。

俺の目は鋭い。 目が殺人鬼みたいなんだってさ。

小学校の時から出来始めたニキビとその鋭い目が嫌いだった。

外を歩く時は仮面を付けて出歩きたかった。

他人の目が怖くて仕方なかった。

自分が傷つけられるんじゃないかと。

中1の時、不登校が続き、家に居たら親父がなぜ学校に行かないんだ!って怒鳴り散らすから俺には居場所が無かった。

そんな俺が死と触れ合うのは、そんなに難しい事じゃなかった。

中1の俺は、夜、果物ナイフを片手に外に出た。泣きながら、何度も遺書を書いた後だった。

自分の腹を刺そうとしたんだけど、ゴムの様に硬く、刃が通らなかった。

泣きながら、死ねない事が怖くて仕方なかったし、学校へ行かなければならないのが怖かった。

俺はその時、結局死ぬ事が出来なかった。

20歳まで生きてみよう、何か変わるかも知れない。そう思ったんだ。

でも、20歳を迎えた俺はただ、体が大きくなって、煙草やお酒が飲める年齢になっただけで、中身は何も変わっちゃいなかった。

当時付き合っていた彼女、よく言われたのが、アナタは愛をすぐに確かめようとする。

俺は愛が無償じゃないのも知ってるし、無限じゃないのも知って居る。

いつか、自分に対して愛が無くなるんじゃないかといつも不安だった。だから彼女の愛を確かめる様な行動をよくしていた。

今思い出そうとしても、思い出せないけど、何かしたんだ。

そして、次第に彼女は疲れていってしまって、最終的に俺の元から居なくなった。

悲劇の主人公ぶってんじゃねーよと言われそうだけど、こんなの悲劇でも何でも無い。

ただ、誰も知らない、名前も知らない男のブログだ。

居なくなった所で誰も気に止めない様な男のクダラナイ人生のブログだ。

俺の心の奥底にはヒザを抱え、泣いてる子供の時の俺から抜け出せないでいるだけだ。

だから、俺はちゃんと大人になれてない。

だから、俺は弱い、すぐに心が沈む、落ちていく。

こんなんだから、誰も気に止めない、相手にされない。

好かれない。

そんなの重々承知だ。

楽しい事、嬉しい事を見つけたんだ、それをして何が悪い。嬉しい事、楽しい事だけして暮らしてもいいじゃないか。

やっと見つけたと思ったんだ、俺が生きる理由、その為に生きて何が悪いんだよ。

何も無くなった、何もかも失った後に、やっと生きる目的見つけたんだ、それにすがって何が悪いんだ。

でも、それももう終わり。支えなんて最初から無かったのかもな。

ただ、俺は退院して、流されて、通院して、手術して、支援所へ通って、何となく就職へ向けて歩いてて。

何も変わっちゃいなかった。飛び降りる前と何も変わっちゃいなかった。何も無い、何も無い空っぽだ。


ただ、頑張れる理由、意味が欲しかった。辛い時に甘えられる場所、存在が欲しかった。

生きている理由、意味が欲しかっただけなんだ。

俺でも、こんな俺でも生きていていいって言われたかっただけなんだ。

最近は気持ちが沈んで、俺のブログへ来てくれる人達も気持ちが下がってしまうかも知れない。

でも、ここは俺のブログ、俺の場所だ。元気を貰いたい、温かい気持ちになりたいんだったら他へ行ってくれ。

俺は今も必死に、何も無いのに生きようとしてる。ただ、コレが生きてるって言えるのかは俺には分からない。

最近はお腹が空く事も無くなって、1日1食へ減った。

お昼食べる事なんて殆ど無くなった。今日は1食も食べてない。食べないからこんな気持ちなのか分からんけど。

食べなくていいんなら、食べたくない。

今日、食べる事が出来なかったら、明日も食べない事も出来るはず。ずっと食べなかったらなんて出来るとは思えないけど。

今は何も食べたくないんだ。

ただ、体が寒い。足が寒い、首筋が寒い。エアコンを入れてても寒くて仕方が無い。

こんなクソみたいな人生、いつまで続けるつもりなんだか・・・。

とりあえず、俺にはクソみたいな世界でしかない。


タグ:2回目
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